はじめに:外国人関連事件の急増と司法通訳の重要性

日本で暮らし、働く外国人の数は年々増加しています。それに伴い、外国人が関わる刑事事件や民事裁判も増加の一途をたどっています。2024年のデータによると、外国人が関わる刑法犯の摘発件数は前年比21%増の約1万9千件に達し、裁判で通訳をつけた外国人は4,649人(前年比20%増)にのぼりました。

こうした状況の中で、今注目されているのが「司法通訳」の質と制度の不透明さです。産経新聞が2025年2月14日にYahoo!ニュースで報じた記事では、司法通訳制度の深刻な課題が明らかになりました。

この記事では、在留資格やビザ申請を専門とする行政書士の視点から、司法通訳制度の現状、問題点、そして在日外国人や外国人雇用企業が知っておくべきリスクと対策について詳しく解説します。

■ 司法通訳とは?その役割と責任

司法通訳の定義と業務内容

司法通訳とは、警察や検察などの捜査機関による取り調べ、裁判所での法廷審理など、司法手続きにおいて外国人と日本語の間で通訳を行う専門職です。具体的には以下のような場面で活躍します。

・警察での事情聴取や取り調べ
・検察での取り調べや供述調書の作成
・裁判所での公判(証人尋問、被告人質問など)
・弁護士との打ち合わせ

特に「法廷通訳人」は、瞬発力と正確性を同時に求められる高度な専門性を持つ職業です。法廷では、検察官、弁護人、裁判官、証人、被告人など、複数の話者の発言を即座に正確に通訳する必要があります。

司法通訳に求められるスキル

司法通訳には、単なる語学力以上のものが求められます。

  1. 高度な言語能力: 母語と日本語の両方について、日常会話レベルを超えた専門的な語彙力
  2. 法律知識: 「共謀」「未必の故意」「公訴時効」など、法律特有の概念の理解
  3. 通訳技術: 逐次通訳、同時通訳などの技術
  4. 文化的理解: 言葉のニュアンスや文化背景の理解
  5. 中立性: いかなる立場にも偏らない公正な姿勢
  6. 瞬発力: その場で即座に正確に訳す能力

日本司法通訳士連合会の天海浪漫代表理事は、「ニュアンスや感情、その国の文化・背景も理解して、話者が伝えたいことを即時に正確に通訳する必要がある」と強調しています。

■ 司法通訳制度の現状と深刻な課題

公的資格が存在しない不安定な制度

司法通訳制度の最大の問題点は、公的な資格制度が存在しないことです。医師や弁護士、行政書士のように国家資格があるわけではなく、語学能力や通訳技術を客観的に測る統一試験もありません。

現在の制度では、各地の裁判所が面接を行い、適性があると判断すれば研修を経て通訳人候補者の名簿に掲載されます。しかし、その選任基準や選考プロセスは不透明で、どのような能力や経験があれば登録できるのか明確ではありません。

深刻な通訳人不足

法廷通訳人の数も十分とは言えません。最高裁のデータによると、名簿登録者数は以下のように推移しています。

・2016年(平成28年): 延べ3,840人
・2023年(令和5年): 3,208人
・2025年(令和7年)4月1日時点: 3,244人

需要が増加しているにもかかわらず、通訳人は減少傾向にあり、近年わずかに回復したものの依然として不足しています。

天海氏は「裁判所が裁量で選ぶからか、仕事が回ってくるのは特定の人ばかりという傾向がある。司法通訳の希望者は多いのに、こうした仕組みが参入を妨げている」と指摘します。

使用言語の多様化

法廷で使われる言語は約40にもおよびます。2024年に通訳された言語は、ベトナム語、中国語、タイ語、タガログ語の順に多く、アジア言語が中心です。しかし、これら全ての言語について質の高い通訳人を十分に確保することは容易ではありません。

■ 誤訳が人生を左右する―津地裁の事例から学ぶ

2024年3月の津地裁無罪判決

司法通訳の質がいかに重要かを示す象徴的な事例が、2024年3月に津地裁で言い渡されたフィリピン国籍女性の無罪判決です。

女性は知人に覚醒剤を有償で譲り渡したとして起訴されました。捜査当局側は、女性の携帯電話に残されていた知人からの「Brad、葉っぱある?」というタガログ語のメッセージを証拠として提出しました。捜査段階では、このメッセージの「Brad」を女性の愛称と解釈し、女性宛のメッセージとして誤訳・証拠化したのです。

しかし津地裁は、「Bradはbrotherに由来し男性に使われるもので、女性に使われるのは不自然」と指摘。メッセージの相手は女性と特定できず、第三者が携帯電話を使った可能性があると結論付けました。検察側は控訴せず、判決は確定しました。

この事例が示す重大な問題

この事例は、通訳の質が被告人の人生を左右することを如実に示しています。

・誤訳により無関係な証拠が作られ、起訴に至った
・適切な通訳があれば、そもそも起訴されなかった可能性がある
・言葉のニュアンスや文化的背景の理解が不可欠

天海氏も、「ニュアンスの違いによって被告が有利になったり、逆に不利になったりしたと感じた場面がある」と証言しています。通訳の質は、法律の平等適用という基本ルールを担保するために必要不可欠なのです。

■ AIでは代替できない司法通訳の専門性

AIと自動翻訳の限界

「AI技術が発達した今、自動翻訳で十分ではないか」という声もあります。実際、大阪市では2024年春から各区役所に多言語通訳機「ポケトーク」が導入され、92言語に対応しています。約160の国・地域出身の外国人が暮らす大阪市では、窓口業務において大きな効果を上げています。

しかし、行政窓口での定型的なやり取りと、法廷での複雑な審理は全く異なります。

法廷通訳に求められる高度な判断

法廷では以下のような高度な判断が求められます。

  1. 法律概念の理解: 「共謀」「未必の故意」「正当防衛」「公訴時効」など、法律特有の概念を正確に理解し訳す必要があります。これらは単なる直訳では正確に伝わりません。
  2. ニュアンスと感情の捉え方: 証人の証言や被告人の供述では、言葉のニュアンスや感情が重要な意味を持ちます。「たぶん」と「確実に」、「見た」と「見たような気がする」では、証拠としての価値が全く異なります。
  3. 文化的背景の理解: 各国の文化や慣習によって、同じ言葉でも異なる意味を持つことがあります。津地裁の事例の「Brad」のように、文化的背景を理解していなければ正確な通訳はできません。
  4. 即時性: 法廷では、発言の直後に通訳する必要があります。時間をかけて辞書を引いたり、AIに入力し直したりする余裕はありません。

天海氏が「法廷通訳をAIに置き換えられない」と強調するのは、こうした理由からです。

■ 在日外国人が知っておくべきリスクと対策

司法通訳制度のリスク

在日外国人の皆さまが認識しておくべきリスクは以下の通りです。

  1. 通訳の質は保証されていない: 公的資格がなく、統一基準もないため、通訳人の質にばらつきがあります。
  2. 誤訳のリスク: 津地裁の事例のように、誤訳により不利な立場に置かれる可能性があります。
  3. 選任プロセスが不透明: どの通訳人が選ばれるかは裁判所の裁量に委ねられており、予測できません。
  4. 言語によっては通訳人が少ない: 主要言語以外では通訳人の数が限られており、質の高い通訳を受けられない可能性があります。

対策とアドバイス

  1. 権利を理解する: 日本では、外国人にも適切な通訳を受ける権利があります。通訳に不安を感じたら、弁護士に相談しましょう。
  2. 信頼できる専門家とつながる: 日頃から、ビザ申請や在留資格を扱う行政書士、外国人対応に強い弁護士など、信頼できる専門家とつながっておきましょう。
  3. 記録を残す: 警察や検察での取り調べでは、通訳内容に疑問があれば、その場で指摘し、記録に残してもらいましょう。
  4. コミュニティとの連携: 同じ国籍のコミュニティや支援団体とつながっておくことで、万が一の際に情報やサポートを得やすくなります。

■ 外国人雇用企業が知っておくべきリスクマネジメント

企業が直面するリスク

外国人スタッフを雇用する企業にとって、司法通訳制度の課題は決して他人事ではありません。

  1. 従業員が事件に巻き込まれるリスク: 従業員が被害者や参考人、あるいは被疑者として司法手続きに関わる可能性があります。
  2. 適切な通訳が確保できない可能性: 通訳の質や確保は「運」に左右される部分が大きく、企業側でコントロールできません。
  3. 誤訳による不利益: 従業員が不当な扱いを受けたり、企業の評判に影響が出たりする可能性があります。
  4. 業務への影響: 従業員が長期間拘束されたり、精神的ダメージを受けたりすることで、業務に支障が出る可能性があります。

企業が取るべき対策

  1. 専門家ネットワークの構築: ビザ申請を依頼している行政書士、外国人対応に強い弁護士、通訳サービスなど、専門家とのネットワークを事前に構築しておきましょう。
  2. 社内マニュアルの整備: 外国人従業員がトラブルに巻き込まれた際の対応手順を明文化しておきます。
  3. 定期的な情報提供: 従業員に対し、日本の法律や司法制度、権利について定期的に情報提供を行いましょう。
  4. コンプライアンス体制の強化: そもそもトラブルに巻き込まれないよう、社内のコンプライアンス体制を強化することが最も重要です。
  5. 在留資格管理の徹底: ビザの期限切れなど、在留資格に関するトラブルは避けましょう。専門の行政書士に管理を委託することをお勧めします。

■ 司法通訳制度改革への取り組み

民間団体の取り組み

天海氏は2009年(平成21年)、司法通訳人の養成を担う一般社団法人「日本司法通訳士連合会」を立ち上げました。講座では半年間かけて実技を含め司法通訳の技術や法律知識を磨きます。

これまでに同団体の技能検定には235人が合格しましたが、より上位の「司法通訳士」に認定されたのはわずか14人です。それだけ高度な専門性が求められるということです。

今後の制度改革への期待

天海氏は、法廷で使われる言語が約40にもおよぶため、国が公的資格を設け直接養成することは現実的ではないと考えています。しかし、「専門家が法廷で通訳を抜き打ちチェックするなど、国が能力を評価し、育てる視点を持つことは必要。明確な選任システムがあれば、通訳人自身も質を向上させる動機が強くなる」と指摘します。

具体的には以下のような改革が期待されます。

・統一的な能力評価基準の策定
・通訳の質を監督する第三者機関の設置
・通訳人への継続的な研修機会の提供
・透明性のある選任プロセスの確立
・適正な報酬体系の整備

■ 「法の下の平等」を実現するために

言葉の壁を越えた公正な司法の実現

日本国憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等」と定めています。この原則は、日本に適法に滞在する外国人にも等しく適用されるべきです。

しかし、言葉の壁があることで、外国人が公正な裁判を受ける権利が脅かされているとすれば、それは重大な問題です。司法通訳の質は、「法の下の平等」を担保するための基盤なのです。

多文化共生社会の実現に向けて

日本はすでに事実上の移民受け入れ国となっています。技能実習生、特定技能、留学生、高度人材など、様々な在留資格で多くの外国人が日本で暮らし、働いています。

こうした多文化共生社会において、言葉の壁を越えたコミュニケーションインフラの整備は不可欠です。大阪市のポケトーク導入のような行政サービスの改善とともに、司法分野での専門的な通訳体制の整備も急務です。

■ 私たち行政書士ができること

ビザ申請・在留資格のプロとして

私たち行政書士は、在留資格認定証明書交付申請、在留期間更新許可申請、在留資格変更許可申請など、ビザ関連の手続きを専門に扱っています。

日々、外国人の皆さまの「言葉の壁」と向き合う中で、正確なコミュニケーションと法律知識がいかに重要かを痛感しています。申請書類の作成や入管対応だけでなく、日本での生活全般における不安にも寄り添います。

総合的なサポート体制

外国人の皆さまや外国人雇用企業に対し、以下のようなサポートを提供しています。

・在留資格の取得・更新・変更手続き
・永住許可申請
・帰化申請のサポート
・企業向けの外国人雇用コンサルティング
・トラブル発生時の専門家紹介(弁護士、司法書士、通訳など)

万が一、外国人スタッフや依頼者がトラブルに巻き込まれた際には、信頼できる弁護士や通訳サービスをご紹介することも可能です。

まとめ:今こそ司法通訳制度の改革を

司法通訳制度の課題は、在日外国人の人権、外国人雇用企業のリスクマネジメント、そして日本社会全体の公正さに関わる重要な問題です。

・公的資格がなく、質の担保が不十分
・通訳人不足と選任プロセスの不透明性
・誤訳により冤罪や不当な扱いが生じるリスク
・AIでは代替できない高度な専門性

こうした課題に対し、国による制度改革、民間の養成機関の取り組み、そして私たち専門家によるサポート体制の整備が求められています。

在日外国人の皆さま、外国人雇用企業の担当者様、そしてすべての関係者が、この問題について認識を深め、「法の下の平等」が言葉の壁を越えて実現される社会を目指していきましょう。

ビザ申請や在留資格でお困りの際は、お気軽にご相談ください。私たちは、専門家として皆さまの安心と権利を守るためのサポートを続けてまいります。

【参考記事】
産経新聞「AIでもカバー不能な司法通訳、法的概念難しく 不透明な制度で『法の下の平等』守れるか」(Yahoo!ニュース、2025年2月14日配信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d2c80afa5e3adc4192fb38e7251dea5ba51056b